森下コラム

29歳の7月中旬に、生協の配達員だった私は次の仕事先が決まっていないのに仕事を辞めた。3月に結婚したばかりの時だ。やりたいことは決まっていた。トレーニングコーチという仕事だ。私の高校野球部時代、OBの1人が冬場に数回トレーニングを教えに来てくれていたこともあり、できればスポーツの現場でトレーニングを指導したいと、漠然とではるが、そう考えていた。しかし、大きな問題があった。私は体育大学卒業でもなく、教養学部出身。そう、本格的にトレーニングを習ったこともなく、もちろん解剖学や生理学も知らなかったのだ。しかも年齢は、もうすぐ30になるというのに。

有給消化中の7月下旬、クソ熱い日に私は短パン・サンダルで代々木に向かった。目的地は、『コンディショニングセンター代々木』という施設だった。その施設は、スポーツ選手をサポートしていることが特徴の一つで、たまたま以前に購入した雑誌に載っていて覚えていたのだ。しかも、奇跡的なことに何年も自宅の私の部屋に保管して置いてあったのだ。とりあえず、そこの施設に電話してみるのだが、すでに電話が使えない、つまり繋がらない状況だった。もう潰れたのかと思いながらも、どの道、暇な私は、そこの施設の住所を訪ねてみることにした。

代々木駅から徒歩数分の場所が、その施設がある住所だった。が、やはり『コンディショニングセンター代々木』なる建物は見当たらない。ほぼ住所的には同じところの小さなビルの、郵便受けを見ると、『スポーツプログラムス』という名前がある。もしかしたら、何かコンディショニングセンター代々木のことを知っているかと思いエレベーターで上がり、確か4階だったかで降り、そこの会社の方に質問した。
「すみません、昔この辺にコンディショニングセンター代々木という施設はありませんでしたか?」
「あー、それならウチがやっていて、今は品川に施設を移ったんです。」
と、そちらのパンフレットを渡してくれたのだ。ここでも奇跡はあった。その数ヶ月後に、事務所も代々木から品川に引っ越してしまっていたのだ。

時間はたっぷりあった私は、その足で熱い中、大汗をかきながら、今度は品川の施設を訪ねてみることにした。最初は、フロントの方に「ちょっと見学させてもらっても良いでしょうか?」と言って、施設見学をすることに。そして、帰る際に思い切って「実は、こちらの会社のようなところで働きたいのですが…」すると、その時対応してくれたフロントの男性スタッフが「少々お待ちください」と言って、事務所の奥に入る。出てくるなり、

「今、マネージャーに連絡したら会ってくれると言うので、このままお待ちください」

正直、施設があるかどうか代々木に行ったのに、まさかまさか、マネージャーと話しをさせてもらうことになるとは夢にも思っていなかった。だって、短パンにサンダルである。すると、女性のマネージャーと先ほどのフロントの方が一緒に話しを聞いてくれることになる。私が、最近仕事を辞めて、こういう仕事がしたい旨を伝えると、
「ちょうど猫の手も借りたいほど、人手が足りなかったので、よろしかったら、今度履歴書を持ってもう一度来てもらえますか」
と、まさかの展開に。数日後面接をして頂き、なんと8月から試用期間として1ヶ月過ごし、そのままアルバイトとして、そちらの施設で働けることになったのだ。

約20年前、これが私が、この仕事を始めたきっかけである。もう、本当に奇跡としか言いようがない。『コンディショニングセンター代々木』が載っていた雑誌が実家にあったこと。電話が通じなかったのに、そこの住所に行ったこと。名前は違ったが、その付近にあった会社に声をかけたこと。その足で品川に行ったこと。思い切ってこちらで働きたいと言ったこと。先方も猫の手を借りたいほど人手不足だったこと。


とにかく、本当に運よくトレーニングコーチになるべく第一歩を踏み出せることになったのだ。あれからあっというまの20年。相変わらず運だけはあるようで、まだ現場でトレーニングコーチをさせて頂いている。この職業に就いたのが遅かったこと、そしてほぼ奇跡の連続で第一歩を踏み出せたこと。
改めて現場にいられることに感謝の思いしかない。

そんな私も先月50歳になった。しかし、歳をとることで気づくことがある。時間は有限であるということ。今の私の目標は還暦過ぎても現場で選手たちと共に汗をかくこと。そのためにも、日々一刻一刻を大切にしたい、私にできることは、相変わらずそれしかない。